2013年8月6日火曜日

待合室のおもちゃ箱

待合室のいっかくに、畳半分くらいのおもちゃ箱を作りました。ずいぶん前からのプロジェクトで、ようやく形になりました。小さい頃からのと、いろんな祈りの結晶です。
 テーブルの高さは60㎝。叩いても中の人形が倒れたり、列車が脱線しないように、中のテーブルと、周囲の壁は分離しています。ガラスは強化ガラス。
まだ色んな物を取り敢えず置いた状態で、これからだんだんと夢の世界になっていく予定。
 今は、15分間隔で新幹線やトーマスが走ったり停まったりしています。
 うれしいのは、子どもたちがこの回りに集まってすごい賑わいになっていること。小さな子が、中に何がいたか、一生懸命ママに説明しています。まだ言葉を話す前の子どもたちまで!。
 心配なのは「帰らない」という子が増えないかどうか。駐車場が限りあるので、診察終わったら早く帰宅して欲しい、、、(^^;)。
正面から見るとこんな感じ。線路はループしていて、二度トンネルをくぐります。
横から見たところ。上方にはアクリルテーブルにフィギアが並びます。手前は「魔女の宅急便」のグーチョキパン店。

ポニョの家と、恐竜。色んな物が、色んな縮尺で渾然となってます。線路手前にはトーマスが停まっています。
ディズニーのスター達もまだ取り敢えず置いた状態。

一番目立つところには、ティンカーベル。 



2013年2月23日土曜日

医会会報の表紙

 筑後小児科医会という、筑後地方の小児科医の集まりがあります。内外の講師を呼び、セミナーを開いて勉強の場を作ったりして、ともに学び助け合おうという集まりです。
 数年前から地区幹事、去年から常任幹事をさせていただいています。常任幹事としての私の仕事は広報。先輩と二人で担当します。筑後小児科医会は2年に一度会報を発行しており、去年がその年に当たっていました。私にとって、最初の会報編集作業です。先輩に一から教わりながら、仕事を進めていきました。
 しかし、いくつかお願いもしました。以前の紙面が何となく読みづらかったので、文字の大きさや余白の広さなどは全くの見直し。いろいろサンプルを用意して意見を募り、変えさせていただきました。全ての目次が会員医師の原稿であったものを、地域の他施設の理解を深め地域連携の第一歩にするために、筑後地区の障害児施設や児童養護施設など、様々な施設の紹介を3〜4施設ずつ載せるようにしました。入会申込書など、あまり使うことのないページをそれなりの場所に置き、緊急連絡網など頻繁に使いそうなページを見つけやすいところに移しました。印刷屋の担当者とのやりとりも始まり、それはそれは楽しい仕事でした。

 表紙は、絵の上手な大先輩が毎号描いていただいていたのですが、老齢で今号から描くことが出来ないとのこと。他の先生に書いていただくことや、写真が趣味の先生の作品を載せることなどが案として出されました。しかし、筑後地区の障害児施設や盲聾学校の子どもたちの絵を載せていきたいと提案し、承認していただきました。
 それから、楽しみに絵を探していたのですが、役員の多数決もあり、ある子どもの蝶の絵に決まりました。できあがってみると、なかなか良い出来だと思っていたのです。その子には多少のお礼もすることが出来ました。

 ある日、その子がいる施設のスタッフが、他の用で吉永小児科を訪れたとき、その子の様子を教えてくれました。

会報の表紙を書いてくれた男の子は、会報を手にして、すごく喜んでくれたようです。
障害児施設の中にいて、それまでおとなしくて、あまり自己主張もしなかった子だったらしいのですが、自分の絵が載った冊子を手にして以来、
どうやら自信がついたようで、明るくなって、いろんな事に積極的になりました。
手に職を付けさせようと 線香並べの仕事をしていますが、すぐに折ってしまうと落ち込んでいた子が、とくに絵のことに関しては、こだわって、妥協せず、将来は絵の仕事がしたいと言っているようです。
彼がいる障害児施設の作業所では、陶器などの製品を作って販売しています。陶器の絵付けなどが出来るようになると良いねと職員と話しているようです。
あの絵が会報の表紙に載ったことで、ひょっとしたら
人生の姿勢や充実感さえも変わった可能性があるよねと共に話しました。

ちょっと胸が熱くなりました。

そして、この会報ができあがったことが、私自身にもなにか生みつつあることに気づくようになりました。この会報によって心に微妙な動きがあった人物は、この男の子だけではなかったようです。また二年後の会報を楽しみに、絵を探していきます。
とはいえ、同じく広報の仕事である名簿作りは、刷り上がってみるとデータが古いことを会員の先生に指摘されたりと、失敗の連続で、少々落ち込み気味でもあるのですが、、、。

2013年2月4日月曜日

小学校で授業

  木曜午後に、近所にある荘島小学校に授業に行ってきました。僕が卒業した小学校です。大きなイチョウの木が、あの頃と変わらずにどーんと立っています。毎年校医として訪問する場所でもあります。 今回は、6年生相手に、「命のエネルギーはどこから来るか」という授業するためでした。校長先生、養護の先生にこちらからお願いして実現しました。前日、できるだけ子どもたちの気持ちをひき付けるようにと、なんとか準備をしました。いつもの専門職相手の講演よりずっと時間は短いのに、なんだか緊張していました。
みんな真剣に聞いている。手もよく上がる

 モーターは電池をつないで動く。冷蔵庫や掃除機はコンセントから。風車は風、水車は水。そんな力を使って動いているけれど、みんなの手足や心臓は、何を使って動いてるんだろうということから話を始めました。授業中、僕は「うんこ」と言うのに、子どもたちは「排泄物」と言うのが面白かったな。

 話の後は、持って行っていた聴診器で、みんなに心臓の音を聴いてもらいました。自分の心臓、友達の心臓、そして私の心臓。二つずつの音が整然と並んでいるのを、初めて聞いた子どもたちは、楽しそうにみえました。
 最後は、自分の身体、他人の身体、どちらも大事にしたいよねと結びましたが、うまく伝わったでしょうか。

胸に聴診器を当て、かわりばんこに聴かせてみる
次の日さっそく養護の先生が医院にみえました。子どもたちの感想文、それから私に宛てたお礼の文集が出来上がっていました。
感想文の中から、いくつか抜粋
校医さんとして、私たちを六年間ささえてくださって、ありがとうございます。
人間は太陽のエネルギーで動いていることを初めて知りました。
心臓の音がどくんどくんとすごかったです
うまれて初めてちょうしん器をはめて、自分の心臓の音を聞いて、なかなか出来ないすごい体験が出来てよかったです。
今日の学習を生かし、自分の命を大切にして生きていきたいです。
僕も医者になりたいと思います。

こんな感想もあった
吉永先生も、お体に気を付けて、お元気でいてください。
これからもお体にきをつけて、むりをせずにがんばってください。
先生は、入試を超えてきているのですごいと思いました。

6年生にもなると、それぞれいろいろ思うこともあるんだね。
新たな元気をもらった気がしました。
また新年度、新しい子どもたちと出会うことを楽しみに、健診に、授業にと行きたいと思います。


2013年1月18日金曜日

ななはっけ騒動 5 完結編

この物語。ぜひ1から順に読んで下さい。

 ギアボックスの中身は全てをアルコールで拭いたので、少しグリスを足しておかないといけないだろう。こんな模型つくりからしばらく離れていたので、工具箱を探しても、机の中を探しても出てこない。グリスを買いに行こうと思い立った。

 ところが、昔から行っていた模型屋はすでに店をたたんでいる。他に模型屋さんってあったっけ?。いろいろ考えるが思いつかない。100円ショップって、模型用のグリスを売ってるのかなあ。ネットで探せば簡単にあるだろうが、中身と郵送料とあまり変わらない物を郵送で買うのは気に入らない。

 ふと、もう1箇所、模型屋さんがあることを思い出した。入ったことはないが、確かにあったはず。行ってみるとやっていた。中に入ると、あまり品物が動いていない雰囲気がある。ガラスケースの中の品物も、長くここにあって、陽にやけた感じがする。模型屋さんって、もう流行らないんだろうな。子どもたちは、大きなショッピングモールや量販店で買い物をする。そもそもプラモデルそのものがどのくらい売れているのだろう
「模型用のグリスありますか」
「さあー、そういうものがあるのかどうか」
 見るからに、模型好きだとか、模型に詳しいだとかいうこととは無縁な感じバリバリの女性。家族のどなたかがされていた模型屋を引き継いで、品物があるので少しでも売れればという感じ。新しい仕入れはしていないのかもしれない。
 ガラスケースをのぞくと、どうやらグリスらしい物があるが、量が多い。こんなにはいらないんだよなあ。どうしようかなあ。 と迷っていると壁にぶら下がっている袋が目に入った。袋の底に、確かにグリスの小さなチューブが入っている。これこれ。これで十分。それは、ミニ四駆の改造用部品のセットだった。色んな種類がある。しかし、このパーツ、買っても今後使うことがあるんだろうか。しかし、あの大きなグリスが無駄になるより出費は少ない。これにしよう。で、使う予定もないミニ四駆パーツセットを一袋買った。

 書斎に戻り、ギアボックスにほんのちょっとグリスをつけ、電池を入れてスイッチオン。なんだか回転がスムーズになった気がする。いやあ、スムーズになってないと困るんだよね。
 車輪を車軸にとりつけ、ボディにギアボックスを固定。ボディと車軸の間もグリスつけとこう。空間がありそうで、関係ないかも。まあいいか。「ななはっけ」先頭にバランス用のおもりが、シリコンのようなものでとりつけてあり、それがはずれかけていたので、これもエポキシで固定。とうとう「ななはっけ」が完成した。
 スタッフを集め、診察室の床を走らせた。「わあ!」と歓声。うれしいなあ。
そして、このななはっけのオーナー、二歳半の男の子のお母さんに電話して、医院にきてもらった。待つことしばし。オーナーがやってきた。修理工としてはオーナーの反応が気になるところ。
 待合室で待っている男の子に向かって、ななはっけを走らせた。そのときの彼のうれしそうだったこと。満面の笑顔。そして、ななはっけを抱きしめ、絶対に手から離さなかった。
 お母さんからお菓子をいただいた。遠慮しようとすると「この子が持って行くって言うんです。このお菓子もこの子が選びました。」ほほう、この子は二歳半にして、すでに菓子折持って行くという礼儀を身につけている。まあお母さんの心配りだろうが。
 男の子は、大事そうに大事そうにななはっけを抱っこして医院を出て行った。なんどもばいばいをしてくれた

 ひっぱってきたけれど、これでめでたしめでたしの話である。ななはっけはいろんな思いを残して僕を通り過ぎていった。
 スタッフは、「医院に、おもちゃもなおします って書きましょうか」と言う。しかし、最近のおもちゃは、電子回路が入っていたり、部分的になおす前提になっていなかったり、複雑なことが多い。おもちゃなおします なんて怖くて書けたものではない。

最後に心配事がちょっとだけ残った
穴が三角形のねじ用のドライバーは、今後出番があるのだろうか
 いつでも貸しまっせ
ミニ四駆のパーツは使う日が来るのだろうか


 そう思いながら、まただれかおもちゃ壊れたと言ってこないかなあとこっそり心待ちにしている僕である。
ご愛読、有り難うございました。

2013年1月16日水曜日

ななはっけ騒動 4

 三角ねじをゆるめ、ボディをはずしてみた。中のギアボックスは、モーターとパッケージになっており、コンパクトなだけに扱いにくい。しょせん子どものオモチャだとたかをくくっていたら、思ったよりずいぶんたくさんのギアが組み合わさっている。そういえば、スイッチは二段階で、速度も変化するようだ。その仕組みも入っているはず。しかも、モーターとギアボックス、電池の接点まで、成功にワンパッケージになっており、修理のことは考えていないような作り。ハンダゴテがないと分解もできない。

 ギアボックスの状態で電池をつないでも動かないので、やはり分解するしかなさそうだ。
 久々に工具箱からハンダゴテを出して来て、ハンダヅケの部分を外して行く。ギアボックスの中にスイッチも組み込まれており、どうしてもバラバラにしないといけない。しかし、いったんばらして、また元に戻せるのか? 少々不安になりながら、逐一デジカメで写真を撮る。いざとなったら写真を参考に戻して行こう

 ギアボックスのオイルがスイッチ接点にもくっついており、そこに絨毯の毛などが加わり接触不良を起こしているようだ。診察室からアルコールを持って来て、部品を全てアルコールで拭いて行く。

 どっかに飛んで行きそうな小さなスプリングや、大小様々なギアと格闘しながら、何とか組み上げた。スイッチや電池接点の部品をハンダヅケして、ドキドキしながら電池をいれてみる 。スイッチオン! モーターが軽快な音で回り始めた。ギアも、ちゃんと連動しているようだ。車軸も回っている。二段階のスピード切り替えも大丈夫。「やったぁ!。」後は車輪をつけて車体に戻すだけだ。
 しかし、ギアも含めて、部品を全部アルコールで拭きあげたので、少しオイル足さなきゃな。

 ここで、ゴール間近だと思っていた僕を、新たな不幸が襲うことになろうとは、想像だにしてなかった。

続く

2013年1月15日火曜日

ななはっけ騒動 3

 男の子がもって来たななはっけは、なんのへんてつもない新幹線のおもちゃにみえた。 電池を入れるところと、小さなスイッチがついている。確かにスイッチを動かしても、うんともすんとも言わない。
 こりゃ開けてみるしかないなと思った。裏返して、ネジをゆるめれば開くだろう。

 ところが、裏を見て愕然とした。ネジ頭のドライバーを差し込む穴が、正三角形をしている。「なんだこりゃあ。初めて見るぞ。」よく見ると、同じ正三角形の穴を持ったネジが、サイズ違いで二種類使ってある。工具箱やドライバーセットを見ても、これに合うものは無い。
 「こりゃあ無理だ。すいません。手も足も出ない」と、お母さんに返そうとした。
しかし、男の子はだれにもなおせない「ななはっけ」を、この先生なら何とか出来るはずだと期待している。この子の前では、人間もなおすが、おもちゃもなおす、スーパードクターでいたい。ただの昔のプラモデル好きだとか、今はそんなこともせずに毎晩酔っ払っているだけ だとかいう真実の姿を見せられない。

 ネットで調べてみた。
 すると、ファーストフード店のおまけや、子どものオモチャによく使われるネジらしく、簡単に分解して、部品やネジを飲み込んだりしないように、あえて開けづらいように使われるネジらしい。情報も結構あり、プラレールでは定番のネジのようだ。
 ドライバーも売っている。
 この「ななはっけ」に使われているネジのサイズはどれなんだろう。物差しを当て、穴のサイズを測り、ずいぶん悩んだが、結局、
アネックス(ANEX) 三角ネジ用差替式ドライバー2.0×2.2mm
アネックス(ANEX) 三角ネジ用ビット1.6×2.3mm

 を発注。これで4サイズ揃う。開かないことはないだろう。
発注するのを見ながら、スタッフがおどろいたり、あきれたりしている。
「君たちにはわからないんだよ。小児科医魂と、プラモ少年の、ダブルの衝動に動かされている僕が」
 待つこと数日。三角ネジ用ドライバーが到着した。これで開けられる。2歳の子のオモチャだ。開けたら中身はシンプルに違いない。

そして開けてみた。
え、、、なんだこれ?

続く

2013年1月12日土曜日

ななはっけ騒動 2

 次の受診の時に、その二歳半の男の子は、僕の顔をみながら、何か一生懸命に訴えている。はじめは聞き取れなかったが、どうやら「ななはっけ、ななはっけ」と言ってるらしい。意味がわからない。お母さんに聞いた。
お母さん「700系 って言ってるんです。新幹線の話です。」と
「ああ、そうかあ。新幹線の700系だね。よく知ってるねえ。新幹線好きなの?」
 しかし、そうではなかった。
 男の子は、おじいちゃんに、新幹線のオモチャを買ってもらった。大好きなオモチャで、毎日走らせて遊んで居た。それが数ヶ月前に壊れて走らなくなってしまい、親戚のおじさんなどが来るたびに男の子は「ななはっけ」を出すらしいが誰にもなおせないという。
 先日の工具セット。「この先生はいろんな工具を持っている。この人ならなおせるかもしれない」と彼は思ったのだ。だから僕に「ななはっけ、ななはっけ」とうったえていたのだ。

 二歳半の子に頼りにされて、吉永センセが張り切らないはずがない。昔のプラモデル少年のいじにかけてもなおしてみせなきゃ。
「そうかあ。じゃ先生がなおしてみるから持っておいで。」
お母さん「良かったねー。先生がなおしてくれるって。」

 どんな故障かわからないけど、二歳の子のオモチャだ。何とかなるだろう。
 そして、数日後。とうとう「ななはっけ」が僕のところへやって来た。男の子が大事そうに僕に手渡す。
そして僕は大変なことに気がついた。

続く

2013年1月11日金曜日

ななはっけ騒動 1

  ある日、診療中にスタッフが騒がしい。
「工具のドライバーは、どこにありますか」と、聞いて来る。
ネジをゆるめるのだというが、よく状況がわからない。
駐車場で何かあっている風なので、出てみた。

 すると、いつも診察にやって来る男の子、 
車の中で、運転席のお母さんの膝の上に立ってはしゃいだらしく、
車のドアの内側、乗ってからドアを引いてしめる「とって」に足を突っ込んではまってしまい、抜けなくなっている。大人なら絶対入らない場所だ。
お母さんは、「ドライバーかしてください」と車中から言っている
どうやら、とってを止めているネジをゆるめれば、足が抜ける状況らしい
結局、私のドライバーセットを出し、 
スタッフが窓越しにその子を抱っこした状態でドアを開け、
通りがかったよその子のお父さんの手を借りてネジをゆるめ、無事に足は抜けた。

 皆安心して、珍しい出来事にちょっと話題になったが、すぐに話に登らなくなった。
しかし後に、男の子本人はそうではなかったことを知る。
彼の中では、まさにその時から話は始まったのだ。

 私のドライバーセットは、何かの景品でもらったものだが、普通よりもやや多めにいろんな工具が入っている。
男の子はそれをみていた。そして、足が自由にならない状況で彼の頭にはひらめくものがあった。
その時は、男の子の目が光った事に気づいた者は、誰もいなかった。

続く

2013年1月7日月曜日

我々はどこから来たのか

2009年9月のブログを加筆

東京から埼玉行ってきたです。
ちょっと時間があったので(というか、最初から予定して)
国立近代美術館に来ていたゴーギャンを見てきました







昔からいつか見たいと思っていた
 「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
の絵が、日本初上陸。

この絵、ずっと横長なのに、縦が私の身長くらいある、大作です。
ゴッホとの生活が破綻し、タヒチに移って新たな画風と題材を見つけたものの、
貧困の中にあり、またパリへ戻る。
しかし、すでに受け入れられなくなっており、またタヒチへ。
死を決意したゴーギャンが、遺書代わりに描いた大作。
右の赤ん坊の絵から、左端の死を待つ老人まで、さまざまなエピソードや、色んな意味を象徴するそれぞれの動物たちが盛り込まれています。

絵のタイトルは、尊敬する小児科の先輩が、
私たちの日本外来小児科学会に、自ら投げかけ続けられた言葉でもあります。

生で見ると迫力あるなあ、、、
この絵の前で、動けなくなることしばし。
事前に予習した絵のパーツをひとつひとつ見ていく。
その後、ひとがたくさん居たけれど、待って、中央の良い場所を確保。
全体をゆったり眺める。良い、本当に良い 時間でした。
真ん中でゆったりとした時間を過ごして、その前を動いたら、
とたんに後ろからおばちゃんの声
「あー、やっと見れるようになった」
やかましいわい!

その後、埼玉の日本外来小児科学会に向かったのでした。
そういえば最近こんな刺激を受けてないなあ。

2013年1月6日日曜日

角のハイボール

2009年5月のブログにこんなことを書いている。少々書き足しておこう。

当時、自分では嫌いだと思っていた、角のハイボール。
サントリーの角瓶を炭酸で割ったもの。
実は、つくる人によってむちゃくちゃうまいという事が判明。
同じ分量の氷と、角と、炭酸だけで、どうして味が変わるのか、、、。

最初のきっかけは、私のメインバー ケインズバー
陽「ハイボールって最近時々宴会で出るけど、美味しくないよね」
ケ「陽ちゃん、何いってんの。うちのメインメニューを」
陽「そういえば、ここでハイボール飲んだこと無いかも」
ケ「そりゃ。長年来てても、モグリだよ」
革命的な驚きでした。 こんなに美味しいものだったんだ!!
けんちゃんは、今は久留米にいないので、最近彼の角ハイ飲めないのが何とも残念。

それいらい、あちこちで飲む飲む、、、飲む
角のハイボールの霊でも憑いたように。







 



サンボア というお店にも行きました。
関西のお店だけど、銀座にも一軒。
店名は島崎藤村と谷崎潤一郎の命名とか。
ザンボアという名前にするつもりが、ZがSになってしまったとか。
日本一角ハイの有名な店。
何でもない作り方に見える、無駄のない動きから出た飲み物は、クリーミーな細かい泡と、しっとりとブレンドされた角と炭酸が一体になってやってくる。
それはそれは美味しいものでした。
角ハイが苦手だと言う人、美味しい角ハイを飲んだことがないと言い換えましょう。って、サントリーの宣伝みたいだね。
美味しいの飲んだら驚くよ〜!。
ただし、ついついペースが上がるので、酔うことも事実。


←グラスの底の切り欠きは、ウイスキーを注ぐ目安。氷も無し。
そういえば、最近ワインが増えた分、角ハイ飲んでないなあ。けんちゃんが久留米にいないのが最大の原因だけど。