数年前から地区幹事、去年から常任幹事をさせていただいています。常任幹事としての私の仕事は広報。先輩と二人で担当します。筑後小児科医会は2年に一度会報を発行しており、去年がその年に当たっていました。私にとって、最初の会報編集作業です。先輩に一から教わりながら、仕事を進めていきました。
しかし、いくつかお願いもしました。以前の紙面が何となく読みづらかったので、文字の大きさや余白の広さなどは全くの見直し。いろいろサンプルを用意して意見を募り、変えさせていただきました。全ての目次が会員医師の原稿であったものを、地域の他施設の理解を深め地域連携の第一歩にするために、筑後地区の障害児施設や児童養護施設など、様々な施設の紹介を3〜4施設ずつ載せるようにしました。入会申込書など、あまり使うことのないページをそれなりの場所に置き、緊急連絡網など頻繁に使いそうなページを見つけやすいところに移しました。印刷屋の担当者とのやりとりも始まり、それはそれは楽しい仕事でした。
表紙は、絵の上手な大先輩が毎号描いていただいていたのですが、老齢で今号から描くことが出来ないとのこと。他の先生に書いていただくことや、写真が趣味の先生の作品を載せることなどが案として出されました。しかし、筑後地区の障害児施設や盲聾学校の子どもたちの絵を載せていきたいと提案し、承認していただきました。
それから、楽しみに絵を探していたのですが、役員の多数決もあり、ある子どもの蝶の絵に決まりました。できあがってみると、なかなか良い出来だと思っていたのです。その子には多少のお礼もすることが出来ました。
ある日、その子がいる施設のスタッフが、他の用で吉永小児科を訪れたとき、その子の様子を教えてくれました。
障害児施設の中にいて、それまでおとなしくて、あまり自己主張もしなかった子だったらしいのですが、自分の絵が載った冊子を手にして以来、どうやら自信がついたようで、明るくなって、いろんな事に積極的になりました。
手に職を付けさせようと 線香並べの仕事をしていますが、すぐに折ってしまうと落ち込んでいた子が、とくに絵のことに関しては、こだわって、妥協せず、将来は絵の仕事がしたいと言っているようです。
彼がいる障害児施設の作業所では、陶器などの製品を作って販売しています。陶器の絵付けなどが出来るようになると良いねと職員と話しているようです。
あの絵が会報の表紙に載ったことで、ひょっとしたら人生の姿勢や充実感さえも変わった可能性があるよねと共に話しました。
ちょっと胸が熱くなりました。
そして、この会報ができあがったことが、私自身にもなにか生みつつあることに気づくようになりました。この会報によって心に微妙な動きがあった人物は、この男の子だけではなかったようです。また二年後の会報を楽しみに、絵を探していきます。
とはいえ、同じく広報の仕事である名簿作りは、刷り上がってみるとデータが古いことを会員の先生に指摘されたりと、失敗の連続で、少々落ち込み気味でもあるのですが、、、。